2015年6月22日月曜日

ゲームが嫌いになる話。

何日か前、twitterで多くRTされていて驚いたツイートがあった。内容としては、「知り合いがゲームばかりやっている息子に、ゲームに対しノルマ、報告義務、未達成の場合の叱責などを課したところ、サッカー少年になった」という内容だ。これに対し、いくつかの方向から意見がある。

まず、この親についてだ。この親の考え方は「ゲームと嫌なものをセットにすることでゲームを嫌いにさせた」あるいは「本当にゲームが好きではないことをわからせた」の二つのどちらかであると推測する。
これは、心理学でいう接近-回避型の葛藤というもので、この状態に持ち込んだということだ。わかりやすくいうとゲームはやりたいが、報告やノルマは面倒だ、というふたつの動機づけによる板挟みになるようにしたということだ。
前者であれば体に悪い、後者であれば時間がもったいない、など両方とももっともな理由付けができる。しかし、仮にこの息子がゲームが本当に好きであれば、報告もノルマも苦ではないのでこのような葛藤には陥らず、前者であったのであればもくろみが失敗に終わった、後者であれば本当にゲームが好きなのだとわかった、という形になる。

次に、ゲームについてだ。私は、ゲームは次の二つ(集合的に二つ、すなわちA,B,A∩Bの三つともいえる)に分けられると考える。「体験を与えてくれるもの」と「技術を与えてくれるもの」だ。
前者は、RPGなどストーリーに沿って進むものが主で、基本的に一人でやるもの。後者は対戦要素があるもので、基本的には一人でやるときも擬似的にコンピュータなどとの対戦という形をとるものだ。
この二つを満たすものも数は少ないながら存在し、ストーリーを進めることとクリア後の対戦要素を併せ持つ「ポケモンシリーズ」や、最近私もプレイしているパズルを解きながらストーリーを進め謎を解き明かす「Portal」などだ。Portalはパズルゲームで対戦要素はなく、一見後者の集合に入っていないように見えるが、Portalはパズルであり、クリアまでの時間を競うことができ、そこには技術があるのだ。よって私は後者にこれを含める。
先のツイートの話に続いてこれを書いたことについて、何が言いたいのかというと「後者にカテゴライズされるゲームはそんなに好きでない場合でもやめられないことがある」ということだ。ツイートの内容から、おそらくこの息子がプレイしていたのはポケモンだったと推測できる。(違うかもしれない)ポケモンはストーリーを進めるのもゲームの目標の一つだが、ポケモンを捕まえて育て、対戦すること、ポケモンをコンテストに出して競うこと等ほかのプレーヤーと一緒に楽しむ要素が多い。当然、相手がいるから楽しく、また相手がいるからやめられないということになるのだ。
逆に、前者のゲームは続ける理由は「先が知りたい」、すなわち体験に対する欲求のみなので、本当に好きでなければ飽きる。この違いは大きいだろう。
私自身、高校生のころポケモンの対戦にはまり、莫大な時間をつかった。しかし、いまはどうだろう。大学生になり、ゲームの相手もネット対戦のみなのでほとんどゲームをやらなくなってしまった。実はそんなに好きではなかったのかもしれない。モンスターハンターも新作は買っていない。ネットワークで協力プレイができるとあるが、知らない人と協力しても楽しくない、と思う程度にしか好きではなかったのだろう。

しかしながら、Portalはやってしまうのだ。私はゲームが好きだから。

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